MS裁判も結果的には意味がないのは,みんなが知っている。だが,それ以上にナップスターへの判決も意味はない。ナップスターを殺すことは簡単だ。だが,私たちに染みついた思想を取り除くのは不可能だ。音楽業界も,裁判所も,できない。
米国連邦地裁は26日,オンライン音楽交換サービスのナップスター社に対し,同社サイトへの著作権付き楽曲の掲載を一切禁ずる,という仮命令を下した。ナップスターサービスは,事実上の崩壊に追い込まれる可能性も出てきた。パテール判事は審問中,ナップスター弁護団に対して明らかないらだちの様子を見せ,多くの疑問を投げかけた。
パテール判事は,MS裁判のジャクソン判事以上に非常に偏った,裁判を演出した。ナップスターの持っていた悪意を社内計画書で確認することで,ナップスターが悪者であることを徹底的に決めつけた。その悪意に潜んでいる思想には,見向きもしなかった(ナップスターがそれを正面から取り上げなかったことも問題ではあったが)。記事後半部分の記述(この問題に対する理解のなさ,思想のなさ)は,パテール判事の立場を明確にしている。パテール判事がそこにいたことで,判決は最初から決まっていたことなのだ。ナップスターは明日,今後の対応を公表するが,明日の夜24時に,サーバーの停止期限は迫っている。ナップスターのキレる男たち,創始者ショーン・ファニング,主任弁護士のデビッド・ボイズの,次なる手は如何に。
もし,ナップスターのサーバーが止まっても,ナップスターの植え付けた思想は死なない。グヌーテラのような中央サーバーを必要としないピアトゥピアのファイル交換アプリケーションが,(判決への反発に似た悪意も持って)登場し,使われるだけだ。結局,裁判結果などなんの意味もなさない。マイクロソフトを殺すことは可能だとしても,ナップスターは死なない。ナップスターの思想こそが,この地の判例なんだ。
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